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ブログ 2ページ目

2023年のお正月

あけましておめでとうございます
旧年中は大変お世話になり 誠に有難うございました。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

今年は静かで穏やかなお正月で、長い音楽家人生でも滅多に弾くことの無い元日に、今年は幸せな気持ちでピアノを弾いた。
私は2歳からずっとヴァイオリンを弾いているが、並行してピアノも弾いていたら 音楽性もかなり変わっていたのではないか、と思う。しかしまた、最近になるまで ちゃんとピアノと向き合うことが無かったからこそ、今 新しい発見にワクワク出来、音楽全体を見る目も変わって ヴァイオリン演奏にも良い刺激となっていることは間違いない。

タンゴも いつの間にか20年という歴史を刻んでしまっている。
今、ピアノもタンゴも もったいないほど素晴らしい先生たちの元で学ぶことが出来ているわけで、これから先 私の「表現」が どのように変わって行くか 改めて気持ちを引き締めて取り組んで行きたい。
今こうしてジャンルに囚われる事なく音楽の中に居られることに 心から感謝したいです。

かなりたくさんの「お飾り」をくぐってきた身としては(歳をとったという意味) いろんなお正月のシーンが脳裏をよぎる。20歳前から料理担当の時期が長かったので、こうして最低限の調理でお正月気分の味わえる時代に感謝ですね。その分、音楽に向き合える幸せを噛み締めている。

皆さまにとっても 音楽を通じて今年が穏やかで心豊かな良い年となりますように!




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師走です

このホームページのブログも、内容を一新しマメに投稿するとか言いながら、また3ヶ月も放置。とうとう年末になってしまった。
書くことが無いのではなく、ありすぎて書けないのですよ。
なんといっても 書くには時間が必要で、その時間が確保出来ないのは 多忙というより 要領が悪いから。生きることに不器用なのは いつになっても変わらない。

今年は 今までに増して超スピードで過ぎてしまった。このまま加速していったら あっという間に終点に到着してしまうのではないか、と 空恐ろしくもなる。
やりたいことも、やるべきことも山のように有り、何にも増して 毎日が楽しくて仕方ないので、もっと味わって過ごしたいと思いつつ、ついつい早食いになってしまうのは 食事と同じかな。

昔、年長の友人が「歳取ったら毎日が楽しくて仕方ない」というのを聞き、そんなふうに生きられたらいいな、と思っていたが、最近は本当に毎日が楽しくて仕方ない。それって 歳取ったということですかね?
私的には、ピアノを弾く日々になったからだと考えている。ピアノ、本当〜に楽しい❣️
ちょうど1年前、尊敬するピアニストに タンゴとクラシックの狭間で身動き取れないでいるところを救われた。「両方やればいいじゃん」という一言です。
私の場合 仕事とか趣味とかに分けられない音楽そのものへの考え方も かなりクリアになった気がする。
俗に言う「プロとアマのちがいは?」について(以前も書いたかもですが)プロは自分が苦しんで聴き手が喜ひ、アマは自分が楽しんで聴き手が苦しむという名解答がある。
確かにプロの練習は どんな分野においても甘くない。しかし その苦しさには結果がついてくるから頑張る気になれるし、私たち音楽家は幼少期から練習が生活に染み込んでいるため、練習そのものを苦しいとか思う感覚が麻痺しているんでしょうね。なので ピアノにしろ タンゴ(踊り)の基礎練にしろ、かなり根性座って向き合えてると思う。
まあ、その割に成果が見えないとしたら… そういう時は年齢のせいにしておきましょうか(笑)

というわけで、今年も退化したことより 進歩、進化したことの方が圧倒的に多かったと自負?自己満?しております。(笑)

では 来年もよろしく❣️

って 締める気になってる…
昨日も今日も、音楽的にとても面白い発見をしたし、演奏にもアレンジにもいろんなヒントが浮かんで来るし、お伝えしたいこともキリなくあるので、今日明日にもブログ書くかも知れないのに!

まあ、今年は人生初の入院、手術やら 3ヶ月にもわたる腰痛など、健康面でもご心配をおかけしましたが、元気でやってます!



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夏の終わりに



暑かった夏も そろそろ終わり となると 名残惜しい気もする。
世の中的にも 以前の生活を取り戻しつつあるようで なかなかそうもいかず、ライブなどの予定が立てにくいまま 季節が変わって行く。けっこう「やっちゃえ!」的なイベントも多いですけどね。

今年は タンゴバイオリンに転向して20年なのだが、節目の今年 初めて踊りの振付けの中でバイオリンを弾かせていただいた。今までは 演奏と踊りと 別の演目で出演させていただくことはあったが、今回はマエストロの素晴らしい演出で、パガニーニの美しい旋律を奏で、かつ舞うことが出来、長年の夢を叶えることが出来た。

ライブも 踊りのステージも終わってからで本当によかったのだが、夏後半は ハンパない腰痛で、かなりの時間を 何も出来ずに費やしてしまった。
多動性云々の私、じっとして 何もしないでいると、身体は生きていても心が死んでしまうのですよ。心身共に健康であることの大切さ、身に染みております。

動けるとなったら、先ずはピアノを弾く!
幼い頃 禁止されていたからと言って、呪縛が解けるの 遅過ぎでしょうが、安心して弾ける今は とにかくピアノが弾きたい。
しかし、弾きたい曲が多過ぎる。
1曲ずつ仕上げていくのでは 間に合わないので、次から次へと課題を増やしては 自分の首を絞めることになるが、まあ、演奏家は自虐的なモノですから、それでいいのかも。
勉強会で大家に指導していただいた曲は、一生の宝なので 大切に練習を続け 必ず仕上げなくては!だし、人前で演奏出来る曲は 1つでも多く持っていたいし。
しかし、練習時間の確保って、みんな苦労してるんでしょうね。
音楽以外のお仕事でも、ジャンル違いの音楽やってても 条件はあまり違わない気がする。私も普段の練習は エレピだしね。

で、写真はなんで金魚かというと、夏休みの終わりに チビたちを連れて金魚すくいに行ったのですよ。私、金魚すくいは かなり得意なので、たくさん持ち帰ったのはいいが、水替えても 酸素入れても 次々 天に召されてしまい…
いろいろ教えていただき、環境を整えて、今は なんとか落ち着いているようです。
夏の名残りの 金魚でした。




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音楽の記憶 「ラフマニノフ


先日、尊敬する音楽家の音楽講座があり、そのテーマが ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」だった。
この曲は、私にとって最も印象深い 大好きな曲で、子供の頃 頻繁にこの曲の18番変奏曲を聞いていた記憶がある。

あまり詳しく書くと歳がバレますが(笑) 私の幼少時代は テレビはまだ一般的ではなくて、情報、娯楽はラジオから得ていた時代だった。両親が音楽番組を聞いていて、毎週 決まった時間に必ず流れてくるテーマ曲は いやでも記憶に残る。このラフマニノフの他に、シューベルトの「楽興の時」(へ短調)も 音楽番組のテーマ曲だったはずで、 ネットで調べてみた。

まず、シューベルトの「楽興の時」で始まる 「音楽の泉」という番組は、私の幼少時代から現在も、日曜日の朝8時(又は10時)にNHKラジオで放送されているらしい。今でもシューベルトで始まるのか、今度 聞いてみたいと思います。

そして、それに続き 毎週日曜日の午前11時、例のラフマニノフが おごそかに流れ「 立体音楽堂」という番組が始まる。
テレビ同様、一般家庭に ステレオのスピーカーが無かった当時、2台のラジオを左右に置き、それぞれを NHKのラジオ第一と第二に合わせて 中央に座って聴くと ステレオに聴こえる、という 今考えると少々マンガチックな仕組みの番組であった。
この番組、1954年から1966年まで 12年間も続いたらしいので、軽々しくマンガチック、なとと侮ってはいけないのかもしれない。

こうして 私は、毎週 毎週、日曜日には 必ずシューベルトとラフマニノフの一節を聴いて育った。
どちらも心に残る曲ではあるが、特に ラフマニノフの あの甘美でロマンティックなメロディは 私の心に強烈な印象を刻みつけた。
音楽講座でも取り上げられたように、この甘美で印象的なメロディは、変奏曲の元になっている パガニーニのカプリスのモチーフの音の並びを ただ逆に配列しただけ、という仕組みになっている。こんなこと思い付くなんて!
天才はすごい!
私は 以前も書いたとおり 自分の練習曲以外のことには 呆れるほど無知だったし、勉強する意欲も無かったので、毎週 クラシック音楽の番組を聴いていたはずなのに テーマ曲しか記憶に無い、というのも もったいない話ですよね。

今、私はアルゼンチンタンゴの演奏を中心にしているが、お客様の中には コンチネンタルタンゴのお好きな方も 少なからずいらして、今後、コンチネンタルタンゴも レパートリーに加えて行こうと 勉強している。
この コンチネンタルタンゴが日本で流行したのも、私の幼少時代。
調べてみたら、何か面白い発見があるかもしれない。

アルゼンチンタンゴと コンチネンタルタンゴの違いについては、また このブログで書いて行きたいと思っています。
ご興味のある方、乞うご期待です!

使わせていただいたイメージ写真ですが、ネットで「無料壁紙」というところから拝借しました。
何か 問題がありましたら ご一報ください。








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改めて音楽と向き合ってみる


さくらんぼの美味しい季節ですが、今年はこの時期から既に猛暑!ベランダでのティータイムは さくらんぼ共々クラフティになりそうで断念。

さて 一人の偉大な音楽家を知り、追っかけを始めたのが 去年の春。その時、人生観が変わった!と言った通り、まず 日常生活が変わった。毎日 ピアノを弾く、自発的に練習する、という 今までは考えたこともなかった、どちらかといえば 逃げて 避けていたことが、こんなにワクワク楽しいことだったなんて!
しかも、偉大なる音楽家は 信じ難く多忙なコンサート活動の中、ピアノを勉強したい人のために、と 勉強会、講習会など 次々と学ぶ機会を与えてくださる。
そんな中で、様々な事情を抱えながらも ピアノを弾くことを愛し、学ぼうとしているたくさんの方たちとも出会った。
私は音楽家ではあるが、ジャンルが違うし、ピアノは 全くついていけないレベル、新参者として そこからも多くを学ばせていただいている。

私の子供時代は 母も 周りの大人たちも、私に バイオリンを弾くこと以外、何一つさせてくれなかった。また 笑い話のような実話ですが、幼稚園から音楽教育専門のクラスに通い、小中時代も 学校より音楽教育が優先された環境にありながら、高校生の時 転校して 外部の音楽好きな友達が出来るまで、ベートーベンが幾つ交響曲を書いたかも 知らなかったのです。
周りが音楽家だらけで、毎日のように オーケストラも聞いて育ちながら、ほぼ 曲のタイトルすら知らなかった。つまり、自分が演奏する曲のこと以外は一切考えるな、という洗脳が されていたわけで、ユースシンフォニーに参加して 一般教育の中で 音楽を勉強している仲間と出会ってから、ようやく音楽的一般常識と 音楽を愛好する気持ちが 少しずつ身に付いていった という、今にして思えば とんでもない教育現場だった。周りもバイオリン演奏ロボット育成に 何を期待していたのか?と呆れるが、私が 余りにも世間知らずで 奥手だったのかもしれない。
その後、紆余曲折あって今日までの間、ずっと一貫していたのは 学びたい!という強い願望。というか 好奇心ですね!

毎日ピアノを弾き始めて 約一年、少しずつレパートリーが増えてきた。バイオリンとは全く違う練習方法や、 いろんなアプローチの仕方を、偉大なる音楽家は あちこちでヒントを出してくる。自分のレッスン時は呼吸も止まるほど緊張し、レッスン聴講も レッスン動画を見るにも 一言も逃すまいと集中し、それが 一つ一つ 宝物になって 溜まっていく幸福感!

演奏家の 音楽との向き合い方は様々で、例えば演奏会が終わったら 一旦、全部忘れてしまう、という人もあれば、偉大なる彼のように レパートリーは 全て頭にも身体にも入っていて、常に最高のクオリティで演奏が出来る状態を保っている、という「神」もいる。
育ってきた音楽環境にもよるのかも、だが、私の場合は 試験で弾いた曲を一切覚えていない。たまたま 同じ曲で試験を受けることが重なり、どれほど練習したか知れないのに!

しかし、今までの全ての体験の中で 無駄は一つも無い、と信じている。回り道したかも、だか、そこにも得難い経験があった。
バイオリンという楽器の特性から、年齢的な限界があることを、私はかなり若い時から見聞きし、自分でも 覚悟していた。
「バイオリンが高価なのは、楽器を売ったお金で老後を過ごすため」という話も 耳タコで聞かされ、事実、ユニオンから退職金をもらい、田舎に隠居していく先輩もいて、バイオリンの演奏を続けるなら 何か方法を講じないと、といのは かなり若い時から考えていた。

というわけで、私は今、アルゼンチンタンゴの世界に身を置いている。バイオリンを弾く、というのは同じでも 全てが違っていて、クラシックとタンゴの違いを語り始めたら 千夜一夜物語になりそうなので、それはまたの機会にしよう。
アルゼンチンタンゴバイオリ二ストとしてデビューして 今年で20年、未だに 自分で納得のいかないことばかりだ。まあ、日本人の私が アルゼンチン人と同じパフォーマンスが出来る訳もなく、私なりのタンゴを模索し 追求していくのみ。
何時も 好奇心と 探究心が私の背中を押してくれる。

もう クラシック音楽の世界に戻ることは無い、と 勝手に決めていたのは、タンゴ界に入ってからずっと「クラシック臭い演奏」と言われ続けたこともあり、自分の中身から変えないと タンゴは出来ない、と 思い込んで、右利きが箸を左で持つような 頑な努力を続けていたかもしれない。
それが クラシック界の頂点に立つ人を知り、その人の音楽講座を聞いてしまった途端、自分の住む水がどこにあるのか 解ってしまった。まあ 無理もない、タンゴ歴の何倍? 2歳から身をおいていた水なのだ。しかも その人は事も無げに「両方やればいいじゃん」と仰った。私がいかに不器用な人間か、またしても気づくことになった瞬間だった。

こんなにも不器用でありながら、いや 不器用だからこそ、バイオリンしか弾けない人間にだけは なりたくなくて、好奇心の赴くまま いろんなことに手を出してきた。
今現在、細々でも続けている副業は 決して経済的な支えにはならないが、全てが演奏活動に反映されていることは事実、そこでしか知り得ない たくさんのことが、 狭すぎる視野を広げ、パフォーマンスに深みと彩りを与えてくれていることは 間違いない。

というわけで、今週末には タンゴデュオライブがあります。
世の中が ちょっとは落ち着きを見せ、ライブ活動も 定期的にやれるかな?と思っているところに この暑さです。
お越し下さる皆様、どうぞ 充分にお気をつけて、ご無理のないように お出かけください!















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雑記


ご無沙汰です!
色々 ありましたが 生きてます。(笑)
まあ、それほどのことがあったわけでもなく、ただサボってただけですが。

写真の花は スカビオサ、花の中心から葉が出ているという あまり見ない形態で、なんか元気をもらえる。
今朝も 朝食に、窓辺で栽培しているクレソン(食べ残しを水に浸けただけ)を摘んで サラダに入れながら、生きている命をいただくことに 有り難く尊い気持ちになった。
何事も 受け取り方、感じ方、考え方で 様々な方向に繋がって行くわけだが、どうせ一度しかない人生、限りある命を生きるならば 良い方向を目指したい。
受け取り方といえば、音楽も その時の気持ち、環境などで 全く違う印象になることがある。音楽を仕事にしていると、職業病的に 偏った聴き方をしてしまうことが多かったのだが、最近は 好きな音楽を 心から楽しめるようになってきた。視野が広がるのは 素晴らしいことです!
先頃 眼の状態が悪くて、手術をするにあたり 一時期 両眼がほとんど見えない という体験をした。夜中、若い男性介護士に手を引かれてトイレに行く老婆!(私[!?]︎)
一晩きりで本当に良かったです!
健康であると 見える、聞こえる、歩ける、食べられる、などを当たり前と思い つい感謝を忘れてしまうが、普通の生活が出来るって とても とても有り難いことなのだ、と実感。

さて、音楽家あるある をひとつ。一般的に、人は 音楽家の近くにいれば 毎日 素晴らしい演奏が聴けてラッキーだ 、と思うらしい。実はこれ、かなり耳にします。
で、実際はどうかと言うと、、、
昔、私がリサイタルをするので 当時 大学教授だった父が かなりたくさんのチケットを買ってくれたことがあった。コンサートの前の晩、父が私のところへ来て 心配そうに こう言った。
「おまえ、最初から最後まで、止まらずに弾けるんだろうね。」
笑い話ではなく、実話です。
音楽家の練習ほど 聞苦しいものは無い、と言っても過言ではない。
同じ箇所を何度も何度も、壊れたレコード(古っ!)のごとく繰り返し、行っては戻り、また戻り、意味不明な音の羅列を繰り返し、つまり 演奏会で聴くような 一曲を通しての練習など、ほとんどやらないのですよ。少なくとも 私はやらない。そして 私の周りの音楽家たちは 結婚しても 相手に練習は聞かせたことがない、と 口を揃えて言う。
音楽は 素晴らしいものですが、「音」 は時に暴力にすらなってしまう。音楽家は 防音室を必要とし、無ければ 消音器を付けたり、無音練習を試みたり。
これは 生徒さん達も同じですね!
せめて レッスンにいらした時には 思い切り音を出して欲しいです。

まずは 全てに感謝の気持ちを忘れず、聴くことも、弾くことも、大いに楽しみましょう!

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春の味覚


今年も春が巡って来た。
このブログ、お正月の挨拶以来 またまたお休みしてしまい、自分でやると決めたことも出来ない自分にウンザリなのだが、言い訳すれば、年明け早々から 心身のバランスを崩し、日常生活には支障が無い程度の不調が あちこちに発症した というわけで、身体の不調は続いているものの、精神的には かなり立ち直りました!

普通にご飯が食べられるって、本当に幸せなことだと思う。まさか この歳になって 摂食障害を起こすとは思わなかったので、改めて 食の大切さを感じることとなった。

さて、食べるといえば 料理。
今は 実質一人暮らしなので、基本 料理はしないが、料理は嫌いではない。
子供の頃から、手に怪我をするおそれのあることは 一切禁じられていて、中学での家庭科の実習が 私にとって初めての料理体験だった。母は 必要最低限のみ、祖母は 一切 料理をすることなく一生を終えた人なので、料理となると 私は 料理学校に行き、基本的なことから学ぶ必要があった。今 大人気の土井善晴先生のご尊父、土井勝先生の 東京教室に通っていた。月一回は 土井勝先生が上京して教鞭をとられ、直々に教えていただくことが出来た。懐かしい思い出です。
しかし 一人暮らしの今は 良し悪しはともかく、コンビニなどで 全て間に合ってしまうので、自分のために手間暇をかけることはしない。
そもそも、料理は 誰かに食べてもらうために作る、と思っている。褒めてもらうため、と言っても良いかも。
最近、褒められたいから料理する、と言ってる人がいて、何て正直なんだ!と思った。

今はかなりあやしいが、かつて日本には 四季があり、季節ごとに 旬の食材を ふんだんに使うことが出来た。
特に春、少し苦味を持った 緑の若い芽を手にすると 本当にワクワクする。
ふきのとう、タラの芽、コゴミ、ヨモギ、芹、などなど。
また、小さな花を付けた スミレ、たんぽぽ、そして 土筆。
以前にブログにも書いたが、ノビルとのらぼう菜は 春の味覚の中でも絶品!
那須に行くことが無くなり、自分で摘み草をすることが出来なくなって久しいが、都心のスーパーでも 手に入るものもある。

写真の菜の花は 八百屋さんで売っていたもので、花が咲き始めて 値下げになっていたので 即購入!
茎の 下半分にある葉は 外して茹でて 美味しくいただき、上半分は 観賞用として 飾っている。
なお、花屋さんで購入した 菜の花は、食用には、ならないので 念のため。

昔、音楽仲間達と合宿して、裏山に登って山菜採りをして、天ぷらにした時の ほろ苦い味わいと、その時練習していた モーツァルトのクァルテットとは セットで記憶されている。

フラワーアレンジメントの教室で、花材として活けた 春野菜を レッスン後に 天ぷらにして食べたことも、生徒たちの間で 語り草になっているが、その時の 各人各様のアレンジメントも 鮮やかに思い出すことが出来る。

やはり、春の食材、特に山菜は 天ぷらが一番ですね!
また 食べてくれる人がいたら 料理するんだけどな。
ぜひ お声をかけてくださいまし!





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新春にあたって

あけましておめでとうございます❣️

2022年も あっという間に1月半ば!
このままでは 何もしないで また1年が終わってしまいそうで、自分の年齢を考えると かなり焦る。

しかし この年齢を含め、ブログに書いたり 公にすることが憚られることが多すぎる。もともと 単純で 開けっぴろげな性格だから、ごまかしたり隠し事は得意ではないのだが、一応 アーティストとして 人様の前に立たせていただく身としては、少しはナゾめいたところが無くては、と思うわけですよ。

さて、昨年は 体調不良やら 怪我やらで、かなり活動は制限されたが、その分 新しい出会いや 新たな挑戦など、思いがけない方向に視野が広がり、振り返れば かなり充実した一年だったと思う。
そして今年、2022年は アルゼンチンタンゴバイオリニストとしてデビューして ちょうど20年になる。
20年前、横浜の赤レンガ倉庫で 初めてタンゴのステージに立った時、私の演奏は どう聴いてもタンゴでは無かった。

アルゼンチンタンゴの世界には 踊りから入った。
子供のころ、バイオリニストへの道を行くしかない状況下で 踊りに強い憧れがあったのだが、当時 師事していた シュタフォン ハーゲン先生の奥様がバレリーナで、子供の頃の遊び場だった オーケストラ練習場の片隅で クルクル回ってる私に 踊りの素養がある と言われたそうで、いつかは踊りたい!という気持ちをずーっと持ち続けていた。
そして アルゼンチンタンゴを選択したもう一つの理由が、対人恐怖症だった。子供の頃の 隔離され 閉鎖された環境を思えば もっともな話だが、特に 他人から 触れられるのが恐怖、でありながら 憧れでもあった 私への特効薬が タンゴだったわけです。
何のことはない、タンゴ教室に入門したその日に、他人から触れられることには 何の抵抗も無くなり 今日に至っている。

そんなわけで 踊りのレッスンに通ううちに 先生から「バイオリニストならタンゴ弾いてみませんか」とお声をかけていただき、始めはごく気楽に 引き受けたのだが…
私は きっと不器用なんだと思う。
クラシックからタンゴに転向する人の多くが同じ音楽学校の卒業生だったりもするが、それぞれが 工夫を凝らして 独自の演奏スタイルを作るなか、私は 誰よりも踊りのレッスンを受けているというのに 演奏からクラシック臭が消えない、と言われ続けた。

おそらく 今もまだ 私の演奏は アルゼンチンタンゴらしくない、のかもしれない。ただ、他のタンゴバイオリニストたちよりは たくさん たくさん踊りのレッスンを受け、練習もしてきた。
アルゼンチンタンゴは 踊りと演奏、そして 歌が 一体となって出来ている。
なので、私にしか出来ない表現が 必ずあるはず、これからもそこを目指して頑張ります!
というのが、新春に掲げる 今年の抱負になりますか、ね!

タンゴだけではない。
KOKOのクラフトも、委託販売をお願いしていたお店が 全て無くなってしまい、相変わらずネット販売のノウハウがわからなくて、細々 個別のご依頼を受けているだけの現状ですが、もう身動きも出来ないほど 増えた素材、資料を どうにかしなくては!
在庫商品は 昨年末に かなり放出したので、今年は新作をどんどん作って行きますよ!

写真は かなり以前の フリー刺繍の作品の一部。早春の野をイメージした作品です。今年は フリー刺繍や スローステッチも どんどん作って行きたい!
今年も 時間がいくらあっても足りない、多動ならでは、の日々となる予感。

そんなこんなですが、今年もどうぞ よろしくお願い致します。

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今年、そして人生を振り返る






このところ数年は、とにかく月日の経つのが早すぎて 年末になっても「ついこの間 お正月を迎えたばかり」な感覚が離れない。
昔に比べて 情報量が多すぎるので、処理し切れないアタマが そう感じるのだろう。

さて、今年を振り返って 一番の出来事は、偉大なるアーティストと出会ったこと。こんな有名な方を 今まで知らなかったなんて!と思ったが、私にとって最も必要な時期にお会い出来たのだと感じている。
春浅い頃、確かYouTubeで たまたま演奏を聴いて「何て美しい音だろう!」と思ったのが最初で、間も無く 生で演奏を聴く機会を得た。その時 知人に「人生観が変わった!」と言ったが、まさしく その通りだった。音の美しさばかりでなく、知れば知るほど出てくる ミラクルな活動に 心から感動し、尊敬するとともに、私も 考え方を一新して これからの演奏活動の根底になるものを築き直そうと 本気で考えている。

2歳からバイオリンを弾いていて、子供の頃は特に、バイオリン以外のことは 視野に入らないように仕向けられていたから、周りに音楽家が山ほど居る環境でも 他の楽器やジャンルについては 世間一般よりも 疎かったかもしれない。
大人になって、自分の演奏も 教える立場からも、様々なジャンルの音楽に接して来たが、今考えても いつも「その場しのぎ」の 気がする。もちろん 演奏家として きちんと練習もし、曲の解釈や背景も勉強し、クオリティは保っていたはずだったが、一人の演奏家の前に、私は今まで何をやって来たんだろう… という思いが 強くのしかかってきた。

人生に無駄は無い、と信じているので、何事も 必ず何らかの形での結果が出ている とは思うが、物心つくかどうか という時期から バイオリンの練習を強制され、他のことには興味を持つことも禁じられた中で育まれたものは 反抗心、反骨精神 であることは否めない。だからと言って 自分の音楽への取り組み方を全て 親の教育のせいにすることは出来ない。
ただ、演奏家となることが決まっている中で、練習が単なる苦痛ではなく 創意工夫の場であることに もう少し早く気づいていたら、という思いはある。
まあ、失った時間を悔いても何も生まれないので、今、貪るように ショパンやラフマニノフなど 今まで縁の無かった ピアノ曲を聴いたり、ベートーベンやシューベルトの作品を 改めて勉強し直したりするとともに、ピアノを弾く ということを 日常に 取り入れることが出来て ようやく過去の抜け落ちた部分を埋めることが出来つつある気がしている。

今まで私は アルゼンチンタンゴの演奏家として、クラシックからは少し距離を置くようにしていたが、先日 その方のバッハの講義を受講する機会があり、あまりにも懐かしい空気に 圧倒されてしまった。クラシックの世界は タンゴの何倍もの時間を過ごして来た場所、私の住む世界はここ!と感じても仕方ない。
タンゴを始めたばかりの頃は 何を弾いても「クラシック臭い」と言われ、タンゴのニュアンスを掴むために クラシックには 近寄ることも避けていたが、
今年の クラシックの大家との出会いは「もっと視野を広げて 音楽そのものを楽しむ方向へ 切り替えではどうか」というタイミングだったのではないか、と思っている。

ところで、音楽は 音を聴くことが基本にあるが、音の美しさ については 好みもあるだろう。
音楽を鑑賞するとき、音の美しさを どれほど重要視するかも 個人的な問題ではあるが、私は 長い間 音楽と関わって来た人生の中で 「美しい!」と感じる音を奏でる演奏家を ごく僅かしか知らない。
あくまで私の好み なのだが、チェロ奏者に二人、ビオラ奏者に一人、そして
今回 ピアニストを一人 見つけたわけで、ちなみに 全て 男性です。

私の好む「美しい音」に関して述べていたらキリが無いので 今回は触れませんが、私といえば 残念ながら美しい音とは無縁な演奏家と言わなければならない。繊細さや 滲み出る妖艶さ などと言ったものは 私は はなから持ち合わせてないらしい。
代わりに 大胆でパワフルで、力強い 、元気をもらった、といった感想は よくいただきます。

来年は 遅ればせながら 少しは美しい音に近づくように 自分を磨いていきたいな、と。
尊敬するアーティストの演奏を聴き、心を豊かに 落ち着いた人生を歩みつつ、しっとりとした 味わいのある 美しい音を育んで行けたら… 。

来年も、どうぞよろしくお願いいたします❣️







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クリスマス



クリスマスは いくつになっても ワクワクする。いろんなクリスマスを いろんな人と過ごしたけれど、良い思い出の方が多いのかな?
自分の子供時代は プロテスタント、後には カトリックの学校で それぞれのクリスマス礼拝、ミサのお手伝いをした。
演奏家としては、12月は「第九」のオケのトラ(エキストラ)があったし、様々なクリスマスコンサート、ライブの仕事をさせていただいた。
クリスマスシーズンに 演奏をしないことって、今までには無かったと思う。
だから 今年は特別なクリスマス。
もう 指の怪我は ほとんど治ったんだけど、せっかくだから 演奏しないクリスマスを過ごしてみようと思う。
ということで、今年のクリスマスは 大好きな 尊敬するピアニストのコンサートを聴きに行きます!

子供の頃、五右衛門風呂の煙突に 「サンタさん、らこちらです」と貼り紙したこと。

「親が貧乏だから、高価なプレゼントはサンタさんに頼む」と言った 親孝行な娘のこと。

大きなキャバレーのクリスマスショーで トップレスダンサーの美しさに見惚れて 演奏とちったこと。

ある年の第九のトラで、アマチュア合唱団とオケが揉めたことは、もう時効だから書いてもいいかな?アマチュア合唱団にとって 指揮者は神様なのですが、オケにとっては ゲネプロで全曲通すなんて 許しがたいヤツなのだ。まだ トラに入りたての頃、「ダメじゃないか!指揮見ちゃ!」と先輩に怒られたのも 忘れがたい思い出です。

フラワーアレンジメントの内職もしてたから、若い頃は よく働きましたね。
マルシェやってた時は、クリスマスカード、アクセサリー、毛糸の帽子、たくさん作った。

とにかく、じっとしていられない性分だから、クリスマスは特に やることがたくさんあって、それで幸せだったんだな、と思う。
クリスマスの仕事って、みんなが喜んでくれることが、より多い気がするし。

今年は やはり、かなりヒマなんですね。
こんな風に 思い出に浸るなんて、ね!

来年は、たくさん演奏出来るように、たくさんクリスマスグッズ作れるように、今から準備します!


#クリスマス












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