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今年、そして人生を振り返る
このところ数年は、とにかく月日の経つのが早すぎて 年末になっても「ついこの間 お正月を迎えたばかり」な感覚が離れない。
昔に比べて 情報量が多すぎるので、処理し切れないアタマが そう感じるのだろう。
さて、今年を振り返って 一番の出来事は、偉大なるアーティストと出会ったこと。こんな有名な方を 今まで知らなかったなんて!と思ったが、私にとって最も必要な時期にお会い出来たのだと感じている。
春浅い頃、確かYouTubeで たまたま演奏を聴いて「何て美しい音だろう!」と思ったのが最初で、間も無く 生で演奏を聴く機会を得た。その時 知人に「人生観が変わった!」と言ったが、まさしく その通りだった。音の美しさばかりでなく、知れば知るほど出てくる ミラクルな活動に 心から感動し、尊敬するとともに、私も 考え方を一新して これからの演奏活動の根底になるものを築き直そうと 本気で考えている。
2歳からバイオリンを弾いていて、子供の頃は特に、バイオリン以外のことは 視野に入らないように仕向けられていたから、周りに音楽家が山ほど居る環境でも 他の楽器やジャンルについては 世間一般よりも 疎かったかもしれない。
大人になって、自分の演奏も 教える立場からも、様々なジャンルの音楽に接して来たが、今考えても いつも「その場しのぎ」の 気がする。もちろん 演奏家として きちんと練習もし、曲の解釈や背景も勉強し、クオリティは保っていたはずだったが、一人の演奏家の前に、私は今まで何をやって来たんだろう… という思いが 強くのしかかってきた。
人生に無駄は無い、と信じているので、何事も 必ず何らかの形での結果が出ている とは思うが、物心つくかどうか という時期から バイオリンの練習を強制され、他のことには興味を持つことも禁じられた中で育まれたものは 反抗心、反骨精神 であることは否めない。だからと言って 自分の音楽への取り組み方を全て 親の教育のせいにすることは出来ない。
ただ、演奏家となることが決まっている中で、練習が単なる苦痛ではなく 創意工夫の場であることに もう少し早く気づいていたら、という思いはある。
まあ、失った時間を悔いても何も生まれないので、今、貪るように ショパンやラフマニノフなど 今まで縁の無かった ピアノ曲を聴いたり、ベートーベンやシューベルトの作品を 改めて勉強し直したりするとともに、ピアノを弾く ということを 日常に 取り入れることが出来て ようやく過去の抜け落ちた部分を埋めることが出来つつある気がしている。
今まで私は アルゼンチンタンゴの演奏家として、クラシックからは少し距離を置くようにしていたが、先日 その方のバッハの講義を受講する機会があり、あまりにも懐かしい空気に 圧倒されてしまった。クラシックの世界は タンゴの何倍もの時間を過ごして来た場所、私の住む世界はここ!と感じても仕方ない。
タンゴを始めたばかりの頃は 何を弾いても「クラシック臭い」と言われ、タンゴのニュアンスを掴むために クラシックには 近寄ることも避けていたが、
今年の クラシックの大家との出会いは「もっと視野を広げて 音楽そのものを楽しむ方向へ 切り替えではどうか」というタイミングだったのではないか、と思っている。
ところで、音楽は 音を聴くことが基本にあるが、音の美しさ については 好みもあるだろう。
音楽を鑑賞するとき、音の美しさを どれほど重要視するかも 個人的な問題ではあるが、私は 長い間 音楽と関わって来た人生の中で 「美しい!」と感じる音を奏でる演奏家を ごく僅かしか知らない。
あくまで私の好み なのだが、チェロ奏者に二人、ビオラ奏者に一人、そして
今回 ピアニストを一人 見つけたわけで、ちなみに 全て 男性です。
私の好む「美しい音」に関して述べていたらキリが無いので 今回は触れませんが、私といえば 残念ながら美しい音とは無縁な演奏家と言わなければならない。繊細さや 滲み出る妖艶さ などと言ったものは 私は はなから持ち合わせてないらしい。
代わりに 大胆でパワフルで、力強い 、元気をもらった、といった感想は よくいただきます。
来年は 遅ればせながら 少しは美しい音に近づくように 自分を磨いていきたいな、と。
尊敬するアーティストの演奏を聴き、心を豊かに 落ち着いた人生を歩みつつ、しっとりとした 味わいのある 美しい音を育んで行けたら… 。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします❣️
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